わたしには小説を書くことで昇華すべきインフェリオリティ・コンプレックスがたくさんあるのだが、残念ながら文才というツールがなかったのだ。しかし、わたしにもし文才があったら、真っ先に「偽書」を書いたと思う。しかも、ヴィクトリア朝の恋愛小説とか、退屈で誰も気に留めないようなものを。やはりわたしに文才は必要ないのだ。